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2005年12月 4日

演劇に出来る事、演劇だから出来る事

さて、12月2日、いろいろ立て込んでいるレポート全部ほっぽりだして、1人で舞台を見てきました。
途中で公演場所が分からなくなって工事現場のおっちゃんに「あのー、なるお文化ホールってどこですか?」って聞いたのはここだけの秘密です。

その舞台とは。

舞台|阪神淡路大震災

感想・・・・、きっとそんな生易しい言葉で本来片づけるべき言葉では無いのですがそれでも述べてみたいと思います。

先に、俺の事を少々。
日記にも何度か書きましたが、俺はあの阪神淡路大震災を、震度7を直に経験した被災者の中の1人でした。子供心に死を覚悟しましたが、なんとか生き延びました。そして、当然、避難所生活も、水くみも、その他皆さんがテレビで見た事をそれなりに経験しました(もちろん、子どもの視点を通して、ですが)。もちろん知らないことも、見ていないことも、見られなかった事も沢山あります。でも、ただ1つ言えるのは大好きだった街、そして地元が変わっていくのを指をくわえて見ているしか出来なかったこと。

で、感想というか思ったことは。
是非1人でも多くの人に見て欲しい、本当にそう思った。とにかく、ただ何も言わずに見て欲しい。この舞台はあの日の神戸の様子を誇張することなく、ただ淡々と伝えている。
震災を経験しているかいないかで視点が大きく異なると思うが、俺はエンディングの1セリフを聞いて泣けた、まじ泣けた。あの一言こそが聞きたかったし、必要だと思う。

そして見終わってから考えてほしい。世界中で起こっている震災は決してこの阪神淡路大震災だけではない。例えば、去年発生した新潟・中越での震災。そしてスマトラ島沖で発生した震災に付随する大津波。今も復興出来ずに苦しんでいる人が世界中にいる。もちろんそんな事を毎日考えてたら頭がおかしくなってしまう。だから、せめて自分の出来る範囲でいい、せめて自分の考える範囲だけでいい、せめて自分の覚えられる範囲だけでいい、こういう人々がいるということを忘れないで、毎日を生きていって欲しい、もちろん自分を含めて。

帰りの電車で、今何気なく生きている事がとても素晴らしく、輝かしいことだと思えた、そんな劇でした。

鉄筋ビル、高速道路が真横に倒れた
家は最初の数秒でペシャンコになった
ガス管が千切れ、すぐに火災が発生した
水道管が千切れ、火災は止めようがなかった
未明の暗闇、1月の極寒、焼ける自宅
埋まったままの家族……
紙幣で買える物はなく
公衆電話の10円玉だけが意味を持った
衣類、食事、水、住宅、財産、電気、交通
そして故郷の景色を失い
数万人が体育館で半年以上過ごした

テレビや新聞でしか被災地を知らない者が
この状況を頭で想像するのは不可能だ
ゆえに
追悼の意を込めて、演劇として再構築する
(公式サイトより引用)

公式サイトはここです。

投稿者 mak : 2005年12月 4日 19:21

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コメント

とても前のブログに書き込み、すみません。
【舞台│阪神淡路大震災】キャストのひとりです。
たくさん感じていただいてありがとうございます。
とても嬉しかったので、おじゃまさせてもらいました。
ご観劇ありがとうございました。

投稿者 Milk : 2006年1月21日 00:59

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